プロポリス体験記 - 医師自らの癌との闘いホーム > 医師の体験記 |
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医師の壮絶な癌との闘い全記録松本悟(医学博士・整形外科医) 二十代から胃潰瘍と闘う日々1976年に大学を卒業して、中央鉄道病院の勤務医になった時点で、胃潰瘍を患い、一ヶ月間入院しました。自分で「ソルコセリル」(潰瘍治療剤)を買って、注射していました。嫌いな牛乳も一日一リットル飲んで、お酒も飲まないで、約半年間、がまんの生活をし、その結果確かにからだの調子はよくなってきました。当初あった大きな潰瘍は、内視鏡で完全に消失したので安心しました。たばこは以前から吸いませんでした。しかし、数年前ころから胃の調子が悪くなることもあり、メサフィリン、アルサルミンなどの薬を飲むと治っていました。そのくり返しの日がつづいていました。 1994年(平成6年)ころから、ときどき上腹部に違和感がありました。自分は医者なので、ときどき上腹部をさわってみましたが、腫瘤はふれず、圧痛もはっきりしないので、「やはり胃潰瘍かな」と思いました。自分で調合した薬(ガスター、メフィリン、アルサルミン)を飲むと、確かに調子はよくなりました。 味覚障害、急激なやせ、タール便などの症状が出るビールを飲むと、ときどき腹部の膨満感になることがありましたが、翌年の春ころから食事をすると、ときどきものがつかえるような感じがありました。医学書で調べてみると、考えられるのは、逆流性食道炎、食道アカラシア、食道ガン、胃噴門ガンなどで、あまりいい病名はありませんでした。医学書どおりの症状から推測して、食道か胃が悪いとは思っていました。しかし、まさか自分は違うだろうと思っていましたが、気にはなっていました。 そのうち、急激な「やせ」が目立ってきました。ときどき、タール便(血便)が出たこともありました。毎日、つづいたわけではなかったので、もしかして見間違いではないかと思いました。だんだん病気が進行してくると、医者でありながら「素人」と同じ考えになってきます。自分だけは、がんにならないだろうと思っていました。 ところが、異常とも思える急激な「やせ」が、1995年(平成7年)9月過ぎに目立ってきたため、ほかの医師や看護婦ががんではないかと、ひそかに言っていました。自分では気づいて、いろいろ考えていたので、他人のことは放っておいてほしいと思いました。自分では、検査をしなければならないとは思っていました。友人の検査技師に頼んで、いろいろと血液検査をしました。心配で、いくつかの検査センターにも出しました。腫瘍マーカーは異常ありませんでしたが、なぜか血沈とCRP(C反応性たんぱく)の亢進がみられました。ウィルス性の肝炎の検査では、腫瘍マーカーが陰性だということで、友人と祝いの食事をしました。食べたのは、伊勢エビとタイなど、ぜいたくざんまいでした。これが手術前の最後の食事となりました。 十時間の大手術。胃を全摘と食道の一部を摘出するCRPの中等度の亢進は悪性腫瘍の指標にもなるとのことでした。自分の勤務する病院では、なにかとうわさが飛びかうので、知り合いの医師の紹介で神楽坂の執行クリニックで内視鏡、エコーを行いました。胃噴門部に大きな腫瘤が見つかり、出血も起こっていました。友人の先生と相談して、十月二十日、西東京警察病院の外科へ入院となりました。看護婦さんたちも先生も、自分が医者のがん患者のため、気を遣ってもらっていました。自分では、しかたがないと思っていました。 十二月三日、朝から外科の田口先生の執刀で、手術が行われました。先生は、たいへんていねいに胃を全部と食道の一部を摘出し、リンパ節の郭清も行いました。約十時間くらいだったと思います。手術後、麻酔から目が覚めたとき、かすかに自分の名前が呼ばれたような感じがあり、目の前に看護婦さんの顔が見えました。このとき、「ああ、自分は生きているんだな」と思いました。 手術後の痛みは幸いにしてありませんでしたが、あちこち管まみれで、いわゆるスパゲティ症候群です。手術後心配したことは、組織の違う部分を縫合しているので、縫合不全を起こすのではないかと心配しました。術後三週間は食べ物も、水も飲めませんでした。この時期はひまでしたから、週刊誌などで、はじめてプロポリスのことを知りました。 病気になってから、一度飲んでみようかと思っていた矢先、品川区のほうで開業している先生がお見舞いにきてくれました。このとき、キトサンとプロポリスを飲んでみようかと話しましたら、「よいと思ったことは、なんでもやったほうがよい」と言ってくれました。このとき、「抗がん剤の化学療法をしないで退院しようかな」と言いましたら、「ここまでやったんだし、あんたは若いんだから化学療法は一回、いや二回くらい、やらないとだめだよ」と言われました。 幸い、プロポリスも病院に送られてきて、一月十七日より飲みはじめました。イチゴ10個をつぶして、これにプロポリスをかけたあと、練乳をいっぱいかけて飲みました。この飲み方(食べ方)が、当時、自分に合っていたような気がしました。このときは、効果は別にして、とりあえず飲むことだけに専念していました。毎日、液体を10cc(ティースプーン4杯分位)飲んでいました。 退院一ヶ月後に職場復帰。手術も執刀する抗がん剤の化学療法(シスプラチン100ミリグラム+5Fu5000ミリグラム)を一クール行いましたが、自分としてはとくに体調に変化はないようでしたので、一週おいて再度二クール目の化学療法を行いました。さすがに、食欲減退、全身倦怠感、指先のしびれ感、味覚異常が出現しました。結果的にみて、現在の状態を見ると効果があったものと考えられます。 1996年(平成8年)2月4日に、無事、退院となりました。つぎの週から少し仕事をしてみようと思い、友人の病院で手術をしてみましたが、長いあいだ入院していたこともあり、足がフラフラして、いまにも転びそうな状態でした。しかし、仕事が本来嫌いではなかったので、同年3月からJR東京総合病院に復帰しました。病院のほうでは、二度と診断はできないのではないかとのうわさも立ちました。整形外科の医師も、一人ふえました。外来の患者さんから、「ずいぶんやせて大丈夫ですか」と言われました。診療中に、患者さんから励まされたりして、どちらが患者かわからないときもありました。 プロポリスは、半年間は毎日10cc飲みました。最近は乳酸菌飲料に混ぜて、毎朝5ml、夜にプロポリス粒を15粒かかさず飲みつづけています。現在(1997年5月)、胃と食道の摘出術を終えてから1年6ヶ月、体重は一時、50キロを切ったものの(最高時86kg)徐々にふえてきて65キロまで回復しました。食事もおいしく、酒も全盛時までとはいきませんが、飲めるようになりました。人に会うと、顔のつやもよく、健康人よりはるかに健康に見え、とても大病を負ったように見えず、皆もびっくりしています。自分でも、胃を全摘出した男にはとても見えません。幸い、今年で医師になって二十年、病院から表彰されました。 世界で7例しかない結腸がんの副腎転移松浦稔人(院長/東洋医学専門医・産婦人科・心療内科) 「1992年12月18日に、結腸がんの手術を受けて、その一ヵ月後に今度は肝臓に転移の疑いが濃厚とわかり、いろいろな検査を行いました。しかし、肝臓に転移はみられず、検査をくり返し半年後に分ったことは、その結果、なんと右副腎ガンと判明。それも新たな病巣ではなく、結腸がん転移だったのです」 実は、先生のがん転移は、世界で七例しかないという珍しい疾患です。普通は結腸がん→肝臓→肺に転移しますが、先生の場合はそうではなく、いきなり右副腎へ転移したのです。副腎は左右の腎臓の上にあるそら豆状の小さな器官で、からだの維持に必要な副腎皮質・髄質ホルモンを分泌しています。副腎腫瘍の発生頻度は人口10万人当たり、1.3から1.4人です。悪性は少ないといわれていますが、松浦先生はそのなかでも、珍しい転移によるがんだったので、発見が遅れたようです。 術後もプロポリスを飲用「抗がん剤は結腸がん手術のあとは1クール(2ヶ月)行いました。それ以降は主治医と話し中止しました。その代わりプロポリスとサメ軟骨およびビタミンC、Eを飲むだけにしてみました」抗ガン剤をやめたのは1クール以上やっても抗がん剤の効果が期待できないという判断からでした。プロポリスは術後からすぐに飲んでいましたが、先生は東洋医学も専門医でしたので、手術後の回復を促進し、疲労感や食欲不振などを改善する「補剤」のひとつ補中益気湯も飲用しました。こうした「漢方とプロポリスの飲用も相乗効果を高める」という医師もいます。 術後5年目に、飲用を中止する松浦先生は丸2年間、プロポリスの飲用をやめていました。「手術後すでに7年目になりますが、奇跡的に元気です。プロポリスは手術の翌日から朝・昼・夜に1回10滴、1日30滴くらい飲みつづけていました。しかし、術後5年たった時点で一度飲むのをやめました。やめた理由は単純に5年たったからです」 先生は、「奇跡的に元気」と話していますが、全身転移で6年間生存できたことに、がんや心臓病の権威もいる阪大医学部時代の同級生たちのほうが驚いているのだそうです。 プロポリスなどの飲用をやめたことについて、先生は、術後5年たっても再発など新たながんの症状があらわれない(「5年生存率」)ことを理由の一つにあげていると思われます。プロポリスなどによって免疫力を高めることができ、かつ、抗がん剤の副作用もなく、食欲も落ちず、元気を取り戻し、がんを克服しようという闘病意欲につながりました。生きる自信につながったのではないでしょうか。当時も、いまと同じように体調、気力も十分でしたので、診療は平常通り行い、週一回は地域の夜間当番医も勤めました。 一時中断していたプロポリスを増量して飲用開始手術後五年を経てからは3ヵ月ごとに定期的に検査を受けてきましたが、2000年2月16日に行った検査で、腫瘍マーカーの数値が高くなり肝転移の疑いがでてきました。そのことについて先生は、「とはいっても、全身に散ったがん細胞君とは末長く同居していくつもりでしたので、たとえ転移がはっきりしても、さほど動揺してもいないのですが、がん君に強くなってもらうのは、困るなあと思っている」と話しています。 先生が「がん君の力」を弱める作戦としてプロポリスの飲用を再開したのは2000年2月末からです。かつては1日30滴でしたが、今度は1日60滴から80滴に増量しました。抗がん剤など現代医療は一切受けていません。そして、平成13年11月26日松浦先生から電話がありました。腫瘍マーカーのCEA(大腸がんなどの診断に使う)の数値が17.7から2.6、そして同年10月現在1.4(正常値)に下がったという事でした。 胃がんなど四つのがんと共生した「下町の赤ひげ先生」木下繁太朗(医学博士・漢方医) 前立腺がんとの共生過去、胃、膀胱、結腸がんを体験された、「下町の赤ひげ」木下先生は、平成4年8月ごろ、肛門の痛みとともに尿道からの出血がひどくなり、前立腺がんが疑われるようになったので、腫瘍マーカーのPAP(前立腺がんのときにふえる物質)の測定した数値が444.0KAもありました(正常値は4.0KA以下)。これは、前立腺がんが骨に転移したと思われる高い数値で、もし、ほんとうに骨転移していれば治る見込みはあまりないということで、このときばかりは、さすがの木下先生も少し動揺されたようでした。 木下先生はその後、抗生物質の点滴注射をはじめ、10日後のPAP検査では数値は20に下がりました。しかし、10月中旬の測定で数値は再び上昇し、腫瘍マーカーは900KAを越える異常な数値を示していたのです。これはがんが全身に転移したのと同じくらいの数値だそうですが、11月に入り、国立がんセンターで黄体ホルモンをもらって使いはじめたところ、痛みも出血もピタリと止まりました。 プロポリスは今までの量の3倍から4倍(ティースプーン1杯=約4cc)とかなり大量に飲んでいました。そこで、さらに精密に調べるために、骨シンチグラムとCT検査の段階でガンの転移がないことがわかり、PAP値も著しく低下していました。先生も、ほっとされたごようすでした。翌平成5年のはじめ、組織検査のために再入院し、ついでに膀胱鏡の検査も受けたところ、膀胱はまったくきれいとのことでした。 また、超音波検査で前立腺をみた範囲では、前立腺はがんらしくなく、ひょっとすると単なる前立腺肥大で、少し炎症を起こしただけではないか、との担当医の説明でした。しかし、最終的に行った組織検査の結果は、やはりがんでした。中分化前立腺がん(悪性度のあまり高くないがん)だったそうです。5、6年前から前立腺が肥大して経過をみていたのが、じつはこの前立腺がんだったのかもしれないとのことでした。 5、6年も前立腺の内部だけにとどまって転移もしなかったのは、めずらしいとのことでした。そのころ、先生は肉体的にもかなり充実されているようでした。膀胱ポリープにつづいて前立腺がんを克服され、さらにご自分がプロポリスと出会って、直観的にその神秘的かつ野性的なにおいを敏感に感じ取られ、自ら人体実験をし、その「新しい発見」に対して、さらに自信をふかめられたようでした。 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